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満州事変のころ

きょうの「しんぶん赤旗」トップに「靖国」関係者の記事が載っていました。
そのなかでジャーナリストの原寿雄さんが「マスコミ全体が戦争を扇動する契機となった満州事変のあたりに、またきているようだ」と発言されていることに興味をもちました。
いま、戦前・戦中のことを調べていて、そのころに「日本が狂った」ことがよく判るからです。
その時代をふりかえっておきます。

満州事変は1931年9月。

そもそも戦前の日本社会の侵略と植民地支配の欲望は、国内の支配体制と密接に結びついていました。
絶対主義的な天皇制を頂点に、
都市では資本家が労働者を前近代的な搾取制度でしぼりあげ、
農村では封建的な地主制度の過酷な農村支配によって、貧困と飢餓が頻発していました。

それに抗して、労働争議、小作争議が頻発していました。

支配者はそれらの不満をそらせるために、さかんに中国東北部への野望を国民に宣伝していました。
「満蒙は日清、日露の戦役の血であがなった領土だ」
「日本の何倍もひろい国土を手に入れれば、貧困も飢餓もなくすことができる」
といった具合です。

その支配をもくろんで最初におこした謀略事件は昭和3(1928)年6月の張作霖爆殺事件でした。
関東軍が奉天(現在の瀋陽)郊外で、蒋介石の北伐をさけて奉天にもどる満州軍閥の張作霖の乗った列車を爆殺したのです。
張作霖軍が反撃したらそれを口実に軍隊を出兵しようとしたのです。

しかし張作霖の息子の張学良は、挑発に乗らずに失敗、逆に蒋介石の国民党政府に合流して国民党の中国統一に協力し、関東軍は窮地にたちました。

昭和4年(1929)年の世界恐慌のあおりをうけて景気が悪化し、
日本国内の不満がいっそう高まると「満蒙は日本の生命線」と満州への侵略を煽りました。
国民世論もそれに迎合しました。

そして昭和6(1931)年9月に関東軍は、満州事変をおこして中国東北部を支配下におさめたのです。
こんどは中国軍の反応如何にかかわらず、関東軍は鉄道を爆破して中国軍の仕業として一方的に攻勢にでました。昭和3年の教訓をいかしたのです。そして翌年三月に満州国建国を宣言しました。
国民の多くは関東軍の行動を歓呼をもってむかえました。

昭和7年3月、それまでの上流階級の婦人中心の愛国婦人会に対抗して、大日本国防婦人会が創設されました。
両団体は対抗しながら軍部と在郷軍人会の支援をうけて戦争熱、排外熱を煽っていきました。
ある職業軍人の妻は、出征する夫の後顧の憂いを絶つためとして、自決しました。
5月15日には、犬養強首相を海軍青年将校たちが暗殺した五一五事件がおきました。

国際連盟はリットン調査団を編成、調査団は、日本、中国、満州をまわって事件の真相を究明し、10月2日に調査団は事件は日本軍の仕業であるとする一方で、日本にも配慮をしめした報告書をまとめました。

昭和8(1933)年2月、国際連盟はリットン報告を多数で採択しました。
それに対して国内では、在郷軍人会、政友会、民政党、新聞社などが合同でリットン報告排撃大会などをひらいて、国際社会の批判を不当なものとして攻撃しました。

また、五一五事件の裁判に際して、軍は減刑署名運動を主導、多くの国民が青年将校たちの行為を「やむにやまれぬ義憤からでたもの」「涙なくしては語れない純真さからおこなったもの」と擁護、美化しました。

また、国民の戦争熱、排外熱は新聞などによって異様に高められました。
新聞は侵略行為を批判するどころか、こぞって満州事変を支持したのです。

日本は国際連盟の総会決議を不満として、3月正式に連盟から脱退しました。
国際連盟の議場から席をけって退席した松岡洋右全権を、二千名の国民が横浜港で熱烈に出迎えました。

4月には国定教科書が軍国主義的色彩が強いものに大改訂されました。
侵略と歩調をあわせて国内の反戦運動や、自由と民主主義への弾圧も強化された。
思想を取り締まる治安維持法は、1929(昭和4)年に最高刑が死刑法に改悪されていました。
全国に張り巡らされた特別高等警察(特高)は、日本共産党にたいする弾圧を強化していました。日本共産党員だった作家の小林多喜二が、逮捕れたその日に拷問によって殺されたのも、1933年2月のことです。

4月には京都大学の滝川幸辰教授の著作に内務省が難くせをつけて発禁処分とし、文部省が滝川教授の罷免を大学に求め、大学側がそれを拒否すると休職を強行する滝川事件がおきました。

6月には日本共産党の幹部だった佐野学、鍋島貞親が「転向」を表明したことが新聞に発表され、獄中の少なくない共産党員がそれに同調しました。

こうして、日本は狂気の坂を転げ落ちたのです。

わたしは、戦前の歴史をふりかえってみて、
天皇をはじめとした支配勢力だけによって
日本が戦争と植民地支配の道をすすんでいったのではないと思います。
もちろん、主導したのは彼らですが、それを許してきた国民にも責任があると思います。

軍の独走に抵抗するどころか、それを拍手喝さいしたことで
軍部の独走を助長したのではないでしょうか。

それをいまに置きかえたとき、
この映画の上映を自粛すること、そのことに無批判でいることは、
新たなファシズムを助長することにつながると思うのです。

長くなりましたが、わたしたちは歴史から学ぶことは沢山あると思います。
そんなことを考えました。
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