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佐田さんお疲れ様でした

あした25日で、2006年に選出された市会議員の任期が終わります。
その任期で引退するのは7人います。そのうち日本共産党の議員は3名です。
新たな任務に就くということになりますが、市会議員のお仕事、本当にご苦労様でした。
そのなかでわたしのブログの弟子である「あくしゅ」さんこと、佐田久江市議について書きたいと思います。

一言でいうと「ようがんばったね!」につきると思います。

佐田さんが市会議員になることを決意してくれたのは、1988年のことでした。
当時の中村市の日本共産党市会議員の議席は2議席。
1985年の選挙で5人に挑戦し、共倒れで2人になってしまっていたのでした。
そして1973年以来もっていた女性議員の議席もそのとき失いました。

それで悲願の女性議員の議席奪還と4議席復帰の要請を受け、
その夏の市議補欠選挙に立候補してくれたのです。
この夏のたたかいはよく覚えていますが、善戦むなしく落選。

そして1989年4月の通常選挙で、
見事当選し4議席と女性議員の議席奪還という使命をはたしたのでした。

4月に前年に導入が決まった消費税が実施され、
国民の大きな怒りが湧き上がっていたころでした。
千葉県知事選挙、名古屋市長選挙などで、
日本共産党が単独で推す候補が4割ちかい得票を取るという「地殻変動」が起きていました。
その後、消費税に対する怒りと日本共産党への期待は6月に起きた天安門事件によって、
社会党への流れに変わりましたが、市議選挙のときは日本共産党への大きな期待となり、
5人たてた前回よりも得票、得票率とものばしたのでした。
結果を伝える「高知新聞」は「社・共・公が全員当選」「消費税が追い風」との見出しを立てました。

しかし、佐田さんも書いていますが、初めての仕事であり、子育てと両立させるのは大変なことでした。
それとこのころの日本共産党はまだ未熟であり、
子育て最中の女性議員に犠牲を強いていることにも、鈍感だったこともありました。

そうしたことで「空回り」もあったと思います。
2期目をめざした1993年4月の選挙では落選してしまいます。
それは佐田さんの活動への評価という側面もあったかもしれませんが、
弁護させてもらえれば、日本共産党への逆風も大きく作用していたと思います。

1989年の「天安門」から東欧の激動、そして1991年8月のソ連共産党解体と
「共産主義は失敗だった」「資本主義が勝利した」との「体制選択論」の嵐が吹きまくっていたころでした。
そして1993年8月には細川連立政権が誕生したように、
国内では「保革の対立は時代遅れ、消滅した」「日本共産党は守旧派」という風が吹きまくっていたころでした。

このころが一番辛かった時期だと思います。
思うようにならない子育てとともに、中村市で2人目の日本共産党女性議員という立ち位置は、
これは日本共産党の良くないところですが、何かにつけて前任者と比較されたこともあったと思います(金子みすゞの詩ようになればいいのですが)。
そこに落選という現実は、彼女を苦しめたことだと思います。

でも、彼女の一期目の活動は、それまでの日本共産党議員にない新しいスタイルを作り出していました。
一つは要求実現も運動をおこしながら進めることで、けっして議員の請負にならないということでした。
もう一つは、毎週の読者ニュースの発行です。
これは今でこそ、他の議員もやり始めましたが、当時としては幡多では彼女が嚆矢でした。
そして落選中も議員団のパートをしながら、バッチのない議員として1週も休まずニュースを発行し続けたのです。
こうして1997年4月の選挙で返り咲いたのでした。

以来、二回の選挙で連続当選をはたしました。
それからのことは省略はしますが、彼女がつくりあげた新しい党議員としての活動が有権者から高く評価された結果だと思います。

彼女は4年前の当選直後から「梼原に帰って父母の面倒をみたい。親孝行をしたい」と言い出しました。
そして「後継者」もつくり、こんどそして見事バトンタッチをはたすことが出来ました。
そんな彼女をみて、これも新しい議員のスタイルかもしれないと思いました。

年齢的にはまだ充分議員としてがんばれるのに、
さっさとやめて別のステージに飛び立って行く…。
それが本来、党に求められていることかもしれません。
いつまでも特定の人たちに議員という負担をかけ続ける党であってはならないと。

ともかく、佐田さんは明日議員バッチをはずします。
そして梼原に帰る準備も始めています。
別の機会にねぎらいの声をかけることもあるかもしれませんが、
ブログのうえでご苦労さん!!

よう、がんばったね!!
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コメント

お疲れ様でした。

本当にお疲れさまでした。

ほんまにびったれの後継者ですが、一生懸命がんばります。

よろしくお願いします。

ホントに頑張ったよね

いつも市民を守る母親目線で。
痒いところに手が届く活動でした。

我が家が災害にあったとき、地元議員は顔も見せない中でいち早く駆けつけてくれました。
生活が落ち着き始めると、ミシンと布を持って「寒々しいのでカーテンを付けよう」と夜遅くまでかかって縫ってくれました。
嬉しかったのは言うまでもありません。
バッチを付けていてもいなくても、なかなかできることではありません。
細いところに気のつく優しい議員さんでした。

ありがとう!お疲れ様でした。

委員長、ありがとう。

 任期満了から一週間が経ちました。
友人が、あくしゅさんのことを「ハイランド」が書き込んでいるよ。読んだ?と知らせてくれました。
 ハイランドさんが、25日になったら私の事を何か記事にするということは、知っていましたがどうしても訪問する気になりませんでした。
 
 私が、4年前に「次期選挙にはでない」と議員団会議で発言したとき、たぶん他の方は・・・と言ってもたぶん要請があれば、承諾すると思っていたと思います。
 確かに、ハイランドさんからも「出なさい」げに言われ、婦人の仲間からも「頑張って欲しい」と家まで訪問を受けました。
 一度口にしたからには、決意は固い。
要請を受けるくらいなら、最初から口にしない。
 これは私のポリシーです。

 そして4年経ち、浜田さんという45歳の男性とバトンタッチができ、私は今安堵の気持ちで日々を送っています。
 議員の仕事は「やって当たり前」が日常化され、時には一ヶ月に一日も休めないときもありました。
 子どもとサッカーの試合に同行できたのは、3年間でたった一回。

 ハイランドさんも書かれていましたが、女性が議員活動を頑張れば、頑張るほど家庭は犠牲になります。
 人間の基本的単位である「家庭」を守れずして、何が共産党の活動か!と、17年間の議員生活は自問自答が続きました。

 男は徳よ。
仕事から帰ったら、ご飯が出来仕事に専念できる。けれど働く女は仕事から帰ってもまた一仕事しなくてはならない。
 子どもが小さければ小さいほど、この「男は徳よ」を強烈に感じた事は、今でも鮮明に覚えています。

 そんな中での議員活動です。
共産党議員は、他の政党とは違った厳しいものがありますので、みなさんに遅れまいと焦った事もたびたびでした。
 
 忘れもしません。
議員が先頭に立って、赤旗を増やせ!との方針が出されたのは、私が議員になって2年目のことです。
議員団で、対象者をあげ知り合いに購読をお願いするのですが、新人の私には先輩議員のように対象者を出せませんでした。
 そこで、考えたのが私はみんなと違う方法で、赤旗を減さない努力をしよう・・・・

 以来20年。
4月18日に1000号を達成し、任期満了と共にこの発行を終えました。
 あくしゅは、私を含めて3人で作りましたが、1000号を終えて、他の二人も寂しいと言ってくれました。

 毎週発行した「あくしゅ」のおかげで、文章を作ることを億劫に思わなくなり、時々頼まれて「影のコピーライター」もしています。
 17年の経験をさせてくれたのは、言うまでもなく日本共産党であり、不十分な私を成長させてくれました。
 この地を去るにあたり、改めて感謝をしたいと思います。

 ただ、残念な事は議員が頑張るのは当たり前と思わず、いいところがあったら、誉めてほしい。私は現職のとき、ハイランドさんに 誉めてもらった事がない。
私なんか、なんぼでも木に登るのに・・・・・・・・・・・・・・・

挿入のお願い。

そこで、考えたのが私はみんなと違う方法で、赤旗を減さない努力をしよう・・・・

 以来20年。

 
の部分を、「赤旗を減らさない努力をしよう・・・・そこで考えたのが、読者と私と共産党をつなぐ、「読者ニュース『あくしゅ』」でした。
そこには、ふだん母ちゃん(私)が考えている事、地域の事、議会活動で感じた事など、皆さんに知らせると大げさな事を考えず、私はこう思うを書きました。

  以来20年・・・・に続きます。

 

Re: 委員長、ありがとう。

>  ただ、残念な事は議員が頑張るのは当たり前と思わず、いいところがあったら、誉めてほしい。私は現職のとき、ハイランドさんに 誉めてもらった事がない。
> 私なんか、なんぼでも木に登るのに・・・・・・・・・・・・・・・

あはは…。

それが私の「悪いくせ」なんよ。
「テレ」があるのかな。
この先、あんまり長くないけど直さなくてはね。
で、誉めてたらもっと四万十は変わっていたかもしれんね。

とにかくお疲れ様でした。

ここに書かれていることは、女性議員共通の悩みだと思います。
座右の銘として、あなたにの後につづく「おかあちゃん議員」を育てたいと思います。

新天地であたらしいステージを切り開いてください。
そうそう、送別会はどうしょう?

気持ちだけで・・・

 送別会とか、ご苦労さん会とかは全く不要です。
 お気遣いなきように。

 それより、新人さんの事をお願いします。


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Author:大西正祐
管理者は、幡多地区委員長の大西正祐(おおにしまさすけ)です。1952年生まれです。写真は20年以上前のもので、3人の被写体はその当時とは似ても似つかない変化を遂げていることをお断り申し上げます。

【ブログポリシー】
幡多地区のできごと、幡多地区党の考え方、政策などを書きつづっていきたいと思います。
もちろん国政や科学的社会主義、歴史、理念などについても書きますが、多少、ぶれたことを書くかもしれませんが、そのときは厳しくご指摘いただければ幸いです。

これまでホームページでまとまったことを書いていましたが、ブログでは写真なども簡単に掲載できるのでこちらで書くことが多くなると思います。
また、ツイッターは短文なので、緊急的な声明、主張という風に使い分けたいと思います。

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